1号  2014/10/12 (通冊100号)
発行:関西農業史研究会
農業の歴史と文化のアゴラ
インディカ米を選ばなかった日本人
堀尾尚志 horio@ae.auone-net.jp

 インディカ米はかつて「たいとう」と呼ばれ、「大唐米」、「大唐稲」、「秈米」などと記されている。そしてその炊飯は「大唐飯」である。 江戸時代のコメのこととなると、元禄から幕末にかけて書かれた300点を超える農書を見るのが基本である。大唐米の栽培に関する記載は多くの農書に見ることができ、 例えば『私家農業談』(1789年、越中)に「古代より大唐ハ本田を費やさす、その埒(らち)間にうえ付けて・・・農食を助ける習ひなれは・・・」と。 通常は水田の周りに1、2条、山際の田であれば端に数条植えて食に供していた。しかし、大唐飯についての記載となるとわずかしかない。 能登で1800年ころ書かれた『村松家訓』にはかなり詳しい記載をみることができる。その中からいくつかを見てみよう。
 正月元旦から三日までは白米であるが、四日には「下朝粥だんご・・・夕秈飯白米ニ三分マセ」とある。 そして、各月の朔日には「小豆飯と称するハ米五升、秈弐升五合、小豆壱升五合」、田植え時では「夕食ハ黒づき六升秈米四升の割のたいと飯也」。
 ここで記されている「米」、「黒づき」はいうまでもなくヤポニカ米である。正月四日になると下農は大唐飯に三分の白米を混ぜるとあるように、 地方役人(庄屋、肝煎、長百姓など)以外では白米入りも正月4日まで、そして重労働の田植え時期や時節の節目の朔日には白米を供しても許されていたのである。 すなわち、通常の米飯は大唐米のみであったことが窺われる。麦飯という記載が出てこないのは無論、それが通常の飯であったことを示している。
 前出の『私家農業談』には「魁(註・やつがしら)と倶ニ大唐飯にませ農食として可也」、 加賀で書かれた『耕稼春秋』(1754年)では「八月下旬疇大豆の葉取、此葉ハ大唐飯に交ぜ給わる」とあるが、 これらも大唐飯が通常の米飯であったことを窺わせる。
 さて、食味についての記載があるのかどうか気になるところである。各作物、各品種の食味についての記載はほとんどの農書が触れているのに、 インディカ米の食味についての記載がない。ただひとつ、阿波で書かれた『農術鑑正記』(1724年)だけが触れており、 「飯にねバりなく味淡く消化(原典ルビ、こなれ)安く、性かろし、貴賤の飯(原典ルビ、いい)に宜しと」とある。 これを逐語的に現代語に訳しては全く意をなさない。本意はこうである。「飯は、かさかさしていてどうも食べにくい、 しかしお上でない下々が食すべきものなれば」あとは作者のつぶやきとして<こうとしか書けへんのや>。 ヤポニカ米すなわち正規の米は藩の財政を支える代替通貨であり支配階級の食物であった。被支配階級は特別な日以外に食することは御法度であった。 時代の状況から当然、このような意訳に行きつくのである。
 どうも、日本列島に住みついてきた人種の口にはインディカ米が、古来苦手であったらしい。現代だけのことではないようである。
 そのようなことは、日本列島だけのことであろうか。古いところにまで探索できていないが、 第二次大戦後の韓国政府は食糧の量的確保のためインディカ品種の統一(トゥンイル)の栽培を普及させた。 しかし、食糧事情が良くなるにつれヤポニカ米に変わっていったということである。 また、中国でもインディカ米からヤポニカ米へ消費が移っているという報告がある。
 東アジア以外では、圧倒的にインディカ米嗜好であることは言うまでもない。バングラディッシュの大洪水のとき日本政府は備蓄米を援助したが、 全くの不評であったことはまだ記憶に鮮明に残っているであろう。インディカ米食の地域から日本に来た留学生がなかなか日本の米飯になじめず、 なかに帰国まで結局インディカ米を自炊した学生も筆者の周りにいた。
 歴史的な流れの結果、いや単なる習慣のことだけなのか。タイに長い間滞在していた日本人家族が帰国間際になってヤポニカ米を、 タイで生まれ育った子供に食べさせたところ拒絶され大変なショックを受けたと、 母親がなぜか筆者のところに相談に来たことがあった。無論、答えようがあるはずもない。しかし、東南アジアの人たちだけのことではないのだ、 ということを思い、長年なぜコメの嗜好がかくも違うのか気になっていたことが、命題めいたサブジェクトになってしまった。
 人種的な特性のなせるところであろうか。たとえば、唾液の組成が異なるというようなことはないのだろうか。私事で恐縮であるけれど、 放射線治療をうけたあと通常の米飯が喉を通らなくなりインディカ米に変えたところ喉を通るようになった。 もともとタイへよく出かけていて慣れていたせいもあったのかも知れない。しかし、後遺症で唾液腺がダメージを受けているわけであるから、 単なる味覚の問題ではないようである。 このような経験があって、再びあの命題がめぐってきた。そして引退した今、さてどうしようかと思いを巡らせている。

(『美味技術学会誌』11巻2号所収。同誌では「インディカ米は近世百姓の常食」としたが、坪井洋文氏の著書の軒下を借りて、ここでは標記のようにした。)